はじめに——いま、長谷川四郎を読む意味
長谷川四郎(1909-1987)という名前を、いまどれだけの人が記憶しているだろうか。シベリア抑留体験を題材にした『シベリヤ物語』『鶴』の作者として戦後文学史に名を刻みながらも、彼の存在感は、たとえば大岡昇平や石原吉郎ほどには「戦争文学の代表者」として固定されていない。それは長谷川四郎という作家の何かしら捉えがたい性質——詩、小説、戯曲、翻訳、エッセイ、絵画と、領域を軽やかに越境していった軌跡——にも由来しているだろう。
しかし、いま読み返してみると、長谷川四郎の文章ほど、二十一世紀の私たちが向き合うべき問いをひそかに内包しているものは少ない。極限状況に置かれた人間を、どのような距離感で、どのような文体で書くか。「物語ること」と「証言すること」のあいだに、どのような線を引くべきか。国家や民族の境界線が暴力的に書き換えられる場で、ひとりの人間はどう振る舞いうるのか。これらは、戦争が「歴史」ではなく現在進行形の出来事として地球上で続いている現在、私たちが回避することのできない問題群である。
2024年から2025年にかけて、ちくま文庫から堀江敏幸の編集による『シベリヤ物語 長谷川四郎傑作選』と『鶴 長谷川四郎傑作選』が相次いで刊行された。約30年ぶりとなるまとまった文庫化である。この機会に、長谷川四郎という作家の思想的核心に分け入ってみたい。
「ぼくの伯父さん」のような軽さと、シベリヤの重さ
長谷川四郎の作品を初めて手にする読者がまず戸惑うのは、おそらくその文体の「軽さ」だろう。彼の作品には「ぼくの伯父さん」を思わせるブラックユーモアあふれるメルヘンの軽快さがある一方で、その軽さは敗戦前後の満洲・シベリヤ抑留という凄絶な経験から汲み出されたものだ。
長谷川四郎は1909年、北海道函館に生まれた。父・淑夫はジャーナリスト、長兄・海太郎は谷譲次(牧逸馬・林不忘の筆名でも知られる流行作家)、次兄・潾二郎は画家、三兄・濬はロシア文学者という、稀有な文人一家の四男である。法政大学独文科を卒業後、満鉄に入社して大連・北京で欧文資料の収集整理にあたり、満洲国協和会調査部蒙古班を経て、1944年に召集される。翌1945年8月のソ連侵攻によりチチハルの捕虜収容所に収容され、以後5年間、シベリア各地の収容所を転々とすることになる。
帰国後の1952年、彼は『シベリヤ物語』を筑摩書房から刊行する。注目すべきは、この処女短篇集が世に出るまでに2年の歳月を要していることだ。デュアメル『パスキエ家の記録』全10巻の翻訳を先に手がけ、藤原定・山室静の勧めによって雑誌『近代文学』に連作を発表しはじめたのは、帰国の翌年である。つまり長谷川四郎は、自分の体験を「すぐに書く」ことを選ばなかった。
この時間差は、彼の文学を読み解く重要な手がかりとなる。
「静かに語る人」——中野重治が見抜いたもの
中野重治はかつて長谷川四郎を「静かに語る人」と評し、そのためには「確かに見て」いる必要があると述べた。この評言は、長谷川四郎の文学の本質をきわめて正確に射抜いている。
代表作「鶴」を例にとろう。敗戦直前、ソ満国境の監視哨に取り残された日本軍兵士・矢野と「私」。望遠鏡で覗く平原の不穏な静けさ、近づくソ連軍の気配、そして突然の銃声と死。虚空に飛び立つ一羽の鶴。これらの場面は、本来であれば激しい感情の起伏を伴って書かれるべきものだろう。しかし長谷川四郎の筆は、徹底して淡々としている。
ここで重要なのは、この「淡々」が単なる感情の抑制ではないということだ。それは、見ること自体の倫理から導かれた文体である。見る者は、実は見られている者でもありうる。敵はほとんど姿を現さないまま、いつでも自分を致命的状況に追い込みうる。この非対称性のなかで、「語る」とはどういうことか。長谷川四郎は、語り手の特権——感情移入によって読者を引き込み、解釈を提供する権利——を意識的に手放した。残されたのは、平原に立つ一羽の鶴の形象だけである。
これは、戦後日本文学が抱えた根本問題への、ひとつの応答である。被害者として語るのか、加害者として語るのか、無辜の証人として語るのか——どの位置取りを選んでも、そこには欺瞞が混じる。長谷川四郎が選んだのは、位置取りそのものを留保することだった。だから彼の作品では、登場人物の善悪も、出来事の意味づけも、最終的には宙吊りにされる。
石原吉郎との対比——「物語」への態度
シベリア抑留を経験した作家のなかでも、長谷川四郎はしばしば石原吉郎と対比される。両者ともシベリアの収容所で5年前後を過ごし、帰国後に文学者となった。しかし、その文学的態度は対照的である。
石原吉郎は、出来事の「物語化」に対して激しい抵抗を示した。彼にとって、シベリアの経験を物語へと変換することは、その経験を裏切ることであった。だから彼の言葉は、しばしば断片的で、結晶のように硬く、そして寡黙である。
これに対して長谷川四郎は、「物語ること」を放棄しなかった。むしろ彼は、物語ることのなかにこそ、生き延びる回路があると考えていたふしがある。「わたしは戦争がなかったならば、小説みたいなものを書くハメにおちいらなかったろう、と思われる」——彼自身のこの言葉は、戦争への呪詛であると同時に、書くという行為への引き受けでもある。
ただし、長谷川四郎の「物語」は、感情を盛り上げて読者を泣かせるような物語ではない。彼の物語は、むしろ「物語であること」を最小限まで切り詰めた物語、ほとんど物語の輪郭だけが残ったような物語である。だからこそ、それは石原吉郎の沈黙と、思いのほか近い場所で響き合う。
翻訳者としての長谷川四郎——越境する精神
長谷川四郎を語るうえで、翻訳者としての彼の仕事を抜かすことはできない。アルセーニエフ『デルスウ・ウザーラ』、ブレヒトの詩、カフカの短篇、デュアメル『パスキエ家の記録』、アラン=フルニエ『グラン・モーヌ』、ロルカ詩集、マラルメ『マザー・グース』——ロシア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語を駆使した、まさに多言語横断の翻訳家であった。
なかでも『デルスウ・ウザーラ』との関係は特別である。彼はこの本を1942年、まだ召集される前の満洲時代に翻訳刊行している。シベリアの密林を熟知した猟師デルスウと、ロシア人探検家アルセーニエフの邂逅と友情を描いたこの作品は、後に黒澤明の映画原作としても知られるが、長谷川四郎にとってこれは単なる翻訳仕事ではなかった。
シベリアの先住民デルスウが体現する、近代国家の論理に絡め取られない自由な精神——これは長谷川四郎自身が、戦時下の満洲という地で、そして抑留下のシベリアで、繰り返し出会い直したものだったに違いない。彼が後年、「林の中の空地」や「ナスンボ」といった作品で描いたのは、まさにこの種の人間たちだった。茶色の平原のなかにたたずむ一羽の白い鶴、ぼうぼうの髭の間から覗く青い目、騎乗で去っていくモンゴル人の姿——彼の作品から立ち上がってくるイメージの多くは、近代的な「国民」や「兵士」というカテゴリーをすり抜けていく者たちのものだ。
つまり長谷川四郎の翻訳活動と創作活動は、深いところで一本の糸で結ばれている。それは、近代国家が引いた線——国境、民族、敵味方——を、文学の力で越えていこうとする意志である。
ブレヒト、安部公房、花田清輝——同時代との共振
帰国後の長谷川四郎は、文壇の主流からは距離を取った場所で仕事を続けた。1954年に新日本文学会に入会し、1956年には安部公房、花田清輝らと「現代芸術研究会」(後の「記録芸術の会」)を結成する。1961年にはアジア・アフリカ作家会議東京大会に参加、1967年にはベイルートで開かれた第3回アジア・アフリカ作家会議に日本代表団の団長として出席している。
この同伴者たちの顔ぶれは興味深い。安部公房——カフカ的不条理を日本語で書き継いだ作家。花田清輝——転形期の精神を語った批評家。そして翻訳の対象としてのブレヒト——叙事演劇によって観客の感情移入を意識的に断ち切ろうとした劇作家。
ブレヒトの「異化効果」は、観客が登場人物に同一化するのを妨げ、舞台上の出来事を「批判的に」見ることを促す。これは、長谷川四郎の小説における「淡々とした語り」と、思想的に深く通じている。感情移入を許さない文体、出来事を出来事として提示する方法——長谷川四郎は、ブレヒトを翻訳しながら、同時に自らの文体の理論的根拠を確認していたのではないか。
「鶴」や「張徳義」を読むとき、私たちはそこに描かれた人物に簡単には感情移入できない。それは欠点ではなく、長谷川四郎が意図的に設計した距離である。読者は、まさに望遠鏡で平原を覗く矢野のように、対象を「観察する」位置に置かれる。そしてその観察の果てに、見ることそれ自体の暴力性に気づかされる。
「自分のことなのに自分のことではない」——脱主体化の文学
ある読者は、長谷川四郎の作品について「自分のことなのに自分のことではないような冷ややかな印象を受ける」と評している。これは長谷川四郎の文学の核心を、一読者の素朴な驚きとして言い当てた言葉だと思う。
通常、戦争体験者が自分の体験を書くとき、その語り手は明確に「私」として現れる。被害者として、生き残った者として、目撃者として——いずれにせよ「私」というアイデンティティが文章の中心にある。しかし長谷川四郎の場合、その「私」が奇妙に希薄なのだ。
「シベリヤ物語」の諸短篇でも、「鶴」でも、語り手は確かに存在する。しかし彼は、出来事の中心に立つことを慎重に避ける。むしろ語り手は、しばしば自分自身を、平原に立つ一本の木や、収容所の片隅に置かれた一つの道具のように扱う。「私」もまた、観察される対象のひとつとして相対化されているのだ。
この「脱主体化」とでも呼ぶべき身振りは、一見すると謙虚さや控えめさのように見えるかもしれない。しかし、その下にあるのはもっとラディカルな認識——近代的な「主体」というカテゴリー自体が、戦争という出来事のなかで決定的に毀損された、という認識である。捕虜となり、番号で呼ばれ、強制労働に従事した人間が、果たして「私は」と語る権利をどこから調達できるのか。長谷川四郎の文学は、この問いをひそやかに、しかし徹底して問うている。
21世紀に長谷川四郎を読むこと
冒頭で述べたように、長谷川四郎の作品は半世紀以上前のものでありながら、現代の空気と奇妙に響き合う。地球上では戦争が続発し、難民が国境を彷徨い、生死混沌のなかで人々が漂っている。
そうした現在において、長谷川四郎の文体——感情を煽らず、対象との距離を保ち、出来事を出来事として淡々と提示する文体——は、私たちにひとつの倫理を示している。それは、悲惨を消費せず、声を奪われた者たちを安易に代弁せず、それでもなお書くことをやめない、という倫理である。
SNSの時代において、私たちは絶えず感情の高ぶりにさらされている。怒り、悲しみ、共感、義憤——それらの感情は、しばしば対象そのものを見ることから私たちを遠ざける。長谷川四郎が示したのは、感情を抑制することそのものが目的なのではなく、抑制を経由することでしか見えてこないものがある、という洞察だった。
平原の一羽の鶴。それはセンチメンタルなシンボルではない。死者を悼むメタファーでもない。ただそこに鶴がいた、という事実の刻印である。そしてその事実を、ただ事実として書き留めるために、長谷川四郎は5年の沈黙を経て、ようやく筆を執ったのだった。
おわりに——どこから読み始めるか
長谷川四郎の作品を読んでみたいと思った方には、まず2024年刊行のちくま文庫『シベリヤ物語 長谷川四郎傑作選』をおすすめしたい。表題作の連作短篇に加え、詩とエッセイ、堀江敏幸による行き届いた解説が収められており、長谷川四郎の世界の見取り図として最適である。
続いて2025年刊行の『鶴 長谷川四郎傑作選』で、「鶴」「張徳義」をはじめとする第二短篇集を味わってほしい。シベリア抑留以前、ソ満国境の監視哨にいた頃の作品が中心となり、『シベリヤ物語』とは異なる位相での「見ること」の経験が描かれる。
より腰を据えて読みたい方は、みすず書房「大人の本棚」シリーズの『鶴/シベリヤ物語』へ。詩7篇と短篇9篇を収めた充実の一冊である。
そして最終的には、晶文社から1976-1978年に刊行された『長谷川四郎全集』全16巻、あるいは没後に編まれた読本や評論集へと進んでいくのも良いだろう。翻訳者・詩人・劇作家としての顔も含めた長谷川四郎の全貌は、汲めども尽きない。
長谷川四郎は、私たちに、もう一度ものを「見る」ことの厳しさと豊かさを思い出させてくれる作家である。情報の洪水のなかで、見たつもりになって何も見ていない私たちにとって、その文学はいま、思いがけぬ深さで響いてくるはずだ。

