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内田百閒『冥途』書評|夢のように不穏な短篇は、なぜ百年後も新しいのか

夜の道を歩いている。どこへ向かっているのかはわからない。少し前まで一緒にいた人は、いつの間にかいなくなっている。遠くで誰かの声がする。なつかしい気もするが、近づいてよいのかどうか判断できない。目の前で起きていることには、何か重大な意味がある...
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フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』書評|死者の声でできた町を、私たちはどう読むのか

父親を探して、男がひとつの町を訪れる。物語の始まりだけを取り出せば、『ペドロ・パラモ』はそれほど複雑な小説には見えない。主人公のフアン・プレシアドは、亡くなった母との約束を果たすため、顔も知らない父ペドロ・パラモを探してコマラへ向かう。しか...
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短篇小説のすすめ|忙しい人でも読書を続けやすい“短い物語”の魅力

読書をしたい気持ちはあるのに、なかなか本を読み進められない。そんなとき、「自分には読書習慣がないのかもしれない」と思ってしまうことがあります。でも、もしかすると問題は、読書への意欲ではなく、選んでいる本の長さにあるのかもしれません。長篇小説...
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向田邦子『父の詫び状』書評|昭和の家族を描きながら、なぜ今も読まれるのか

向田邦子の『父の詫び状』は、昭和の家族の記憶を描いたエッセイ集です。「昭和の家族」と聞くと、どこか懐かしく、あたたかいものを想像するかもしれません。けれども、この本を読んでいると、単純な郷愁だけでは片づけられない感情が残ります。家族は近い。...
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ルシア・ベルリンを読む——死後10年で「再発見」された、アメリカ文学最後の秘密

「掃除婦が物を盗むのは本当だ。ただし雇い主が神経を尖らせているものは盗らない」こんな一文から始まる短編を、あなたは読んだことがあるだろうか。ルシア・ベルリン。1936年アラスカ生まれ、2004年に68歳で逝去。生前は一部の熱心な読者にしか知...
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穂村弘から始まった現代短歌──「ほむほむ」と、その後に続く歌人たち

「子供よりシンジケートをつくろうよ『壁に向かって手をあげなさい』」この一首から、日本の短歌は変わってしまった、と言って言い過ぎではないと思う。1990年に刊行された穂村弘の第一歌集『シンジケート』は、それまで「結社」と「文語」を軸に守られて...
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アントニオ・タブッキ──現実の縁(へり)に立つイタリアの幻視者

「夢は嘘をつかない、嘘をつくのは現実のほうだ」──そう言わんばかりの小説を書きつづけた作家がいる。アントニオ・タブッキ。1943年にイタリアのピサに生まれ、2012年にリスボンで亡くなった。イタリア人でありながらポルトガル文学の研究者であり...
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100年前の不安が、なぜ今の私たちに刺さるのか──現代を生きる人のためのカフカ入門

ある朝、目を覚ますと、自分が「不要な存在」になっていた。会社のSlackには、なぜか自分だけが招待されていないチャンネルがある。理由は誰も教えてくれない。アカウントが突然BANされ、AIが書いた定型文が返ってくるだけで、何が違反だったのかは...
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シャーウッド・アンダスンから始まる20世紀アメリカ文学——ある「ぎこちなさ」の系譜

はじめに——なぜアンダスンから始めるのか20世紀アメリカ文学の見取り図を描くとき、起点をどこに置くかは案外むずかしい。マーク・トウェインから語り起こす人もいるし、ヘンリー・ジェイムズの心理小説を出発点にする人もいる。けれども、「20世紀的な...
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凍土を見つめる透明な眼——長谷川四郎という思想の在りか

はじめに——いま、長谷川四郎を読む意味長谷川四郎(1909-1987)という名前を、いまどれだけの人が記憶しているだろうか。シベリア抑留体験を題材にした『シベリヤ物語』『鶴』の作者として戦後文学史に名を刻みながらも、彼の存在感は、たとえば大...