日が暮れるのが少しずつ早くなり、夜の時間が長くなってくると、静かに本を読みたくなります。
明るい昼間に読むのではなく、外が暗くなってから、ひとりでページをめくりたい本があります。
今回紹介するのは、物語の筋を追うだけでは終わらない小説です。
夢と現実の境目が曖昧になる本。死者の声が聞こえてくる本。よく知っているはずの日常が、少しずつ見知らぬものへ変わっていく本。
はっきりとした恐怖を描いているわけではないのに、読み終わったあとも奇妙な気配が残る。そんな幻想的で、少し不穏な7冊を選びました。
1.アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』
友人のシャビエルを探すため、語り手はインド各地を旅します。
ホテル、病院、修道院、駅。行く先々で友人の痕跡らしきものを見つけますが、シャビエルにはなかなかたどり着けません。
それどころか、旅を続けるほど、探している人物と探している自分との境界まで曖昧になっていきます。
『インド夜想曲』は、人探しを描いた小説でありながら、一般的な謎解きの物語ではありません。友人の行方を追う旅は、次第に自分自身が何者なのかを確かめる旅へ変わっていきます。
短い章を重ねた断片的な構成で、ページ数も多くありません。それでも、一度読み終えただけでは何かを見落としたような感覚が残ります。
深夜のホテルで見た、意味の分からない夢。その夢を翌朝になって思い出そうとしているような小説です。
2.内田百閒『冥途』
道を歩いている。
どこへ向かっているのかは分からない。
少し前まで近くにいたはずの人が消え、遠くから誰かの声が聞こえてくる。なつかしい気がするのに、近づいてよいのかは分からない。
内田百閒の『冥途』に収められた短篇には、夢の中に迷い込んだような感覚があります。
怪物が現れるわけでも、大きな事件が起きるわけでもありません。それでも、世界のすぐ裏側に何かが隠れているような不安が消えません。
百閒の文章は簡潔です。奇妙な出来事が起きても詳しく説明せず、登場人物もそれを当然のことのように受け入れます。その説明のなさが、夢に特有の不気味さを生み出しています。
表題作をはじめ、「花火」「件」「道連」など、一篇ずつは短いため、眠る前に一つずつ読むこともできます。
ただし、読み終わって電気を消したあと、物語の気配だけが部屋に残るかもしれません。
『冥途』については、内田百閒『冥途』書評|夢のように不穏な短篇は、なぜ百年後も新しいのかでも詳しく紹介しています。
3.フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』
母との約束を果たすため、フアン・プレシアドは、顔も知らない父ペドロ・パラモを探してコマラという町を訪れます。
ところが、町には人の姿がほとんどありません。
聞こえてくるのは、どこからともなく現れる声です。かつて町で暮らしていた人。ペドロ・パラモに支配されていた人。愛する者を失った人。
物語が進むにつれて、誰が生きていて、誰がすでに死んでいるのかも分からなくなっていきます。
時間もまっすぐには進みません。現在と過去、記憶と告白が入り交じり、断片的な声から、かつて存在したコマラの姿が少しずつ浮かび上がります。
最初は戸惑うかもしれません。しかし、すべての関係を理解しようとせず、暗闇の中で聞こえてくる声に耳を澄ませるように読むと、この小説の世界へ入っていけます。
『ペドロ・パラモ』については、フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』書評|死者の声でできた町を、私たちはどう読むのかでも取り上げています。
4.リルケ『マルテの手記』
若い詩人マルテは、パリの街で孤独な生活を送っています。
彼の目に映るのは、華やかな都市の姿ではありません。病院、貧困、病気、老い、そして死。人々ができるだけ見ないようにしているものばかりが、マルテには強く迫ってきます。
『マルテの手記』には、一般的な小説のような明確な筋書きがありません。
街で目にしたもの、幼いころの記憶、家族の死、読んだ本についての考察が、手記の形で断片的に記されていきます。
孤独や不安を扱っていますが、単に暗い小説ではありません。世界を注意深く見ようとすることで、マルテは詩人として新しい目を獲得しようとします。
夜、ひとりでいるときに突然よみがえってくる古い記憶。人の多い街にいるのに、自分だけが世界から切り離されているような感覚。
そんな言葉にしにくい時間を知っている人に、静かに近づいてくる一冊です。
5.オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』
ポーランドとチェコの国境に近い町、ノヴァ・ルダ。
そこへ移り住んだ語り手が、隣人との会話や土地に残る物語、夢、料理、聖人伝、過去の記憶などを書き留めていきます。
一つの大きな物語が最初から最後まで続くのではありません。短い話や覚書のような文章が集まり、少しずつ土地の姿を作っていきます。
昼に見えている家と、夢の中で現れる夜の家。
現在暮らしている人々と、その土地からすでに姿を消した人々。
現実と伝説、生者と死者、個人の記憶と土地の歴史が、境界を越えてつながっていきます。
すべての断片がきれいに一つへまとまるわけではありません。しかし、読み進めるうちに、名前も知らなかった土地が、自分の記憶にも存在していたような不思議な感覚が生まれます。
少しずつ読みながら、何度も前のページへ戻りたくなる本です。
6.ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』
ケリー・リンクの小説では、日常と幻想がごく自然に同居しています。
家族や恋人との関係に悩む人々のそばに、幽霊や怪物、不思議なテレビ番組が存在します。しかし登場人物は、奇妙な出来事をすべて説明しようとはしません。
読者も、何が現実で何が空想なのか分からないまま、物語の中へ連れていかれます。
収録作には、ファンタジー、ホラー、SF、童話など、さまざまなジャンルの要素があります。それでも、どれか一つの名前ではうまく分類できません。
世界のルールを理解したと思った瞬間、そのルールが少しだけずれる。読み終えても、物語が本当に終わったのか分からない。
分かりやすい答えよりも、奇妙な感覚を持ち帰りたい人におすすめの短篇集です。
一篇ごとにまったく異なる世界へ移動できるため、秋の長い夜に少しずつ読むのにも向いています。
7.シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』
メリキャットは、姉のコンスタンス、病弱な伯父とともに、大きな屋敷で暮らしています。
かつて屋敷では、家族の多くが食事に混ぜられた毒によって死亡する事件が起きました。生き残った姉妹は村人から嫌われ、外の世界との関わりを避けています。
メリキャットにとって、屋敷は安全な場所です。
決まった曜日に町へ買い物へ行き、庭に物を埋め、独自のまじないによって家を守る。その閉じた生活は、従兄のチャールズが現れたことで崩れ始めます。
恐ろしい出来事が描かれているのに、文章にはどこか無邪気で、ユーモラスな響きがあります。
メリキャットの目を通して世界を見ていると、姉妹を敵視する村人のほうが異常に思えてきます。しかし同時に、語られていない何かがあることにも気づきます。
かわいらしさと残酷さ、安心と狂気が同じ場所にある、秋の夜によく似合うゴシック小説です。
どの本から読めばよい?
今回紹介した本は、どれも少し変わった構成や雰囲気を持っています。
どれから読むか迷った場合は、今の気分で選んでみてください。
短く静かな旅の物語を読みたいなら、『インド夜想曲』。
短篇を一つずつ読みたいなら、『冥途』または『マジック・フォー・ビギナーズ』。
死者の声が作る物語に浸りたいなら、『ペドロ・パラモ』。
孤独について考えたいなら、『マルテの手記』。
断片が集まって世界になる小説を読みたいなら、『昼の家、夜の家』。
ゴシックで少し意地悪な物語を楽しみたいなら、『ずっとお城で暮らしてる』がおすすめです。
秋の本棚を作ってみよう
読書の秋だからといって、たくさんの本を読まなければならないわけではありません。
気になった本を一冊選び、いつもより少し長く、その世界にとどまってみる。それだけでも、秋の夜の過ごし方は変わります。
すぐに読む本が決まらない場合は、気になった本を「秋に読みたい本」として記録しておくのもおすすめです。
読書管理サービスブクマでは、読みたい本や読んだ本を自分の本棚へ登録し、自由なブックリストに分けて整理できます。
今回紹介した本をまとめて「秋の夜長」「幻想小説」「少し不穏な本」といったリストを作るのもよいでしょう。
今年の秋、静かな夜に読みたい一冊を、自分だけの本棚へ加えてみてください。

